岐阜地方裁判所 昭和39年(行ウ)3号 判決 1966年9月12日
原告 小川朋二
被告 岐阜県教育委員会
主文
被告が、昭和三七年四月一日付で原告に対してなした、岐阜県関市立小金田小学校教諭(教頭)を免職し、同県郡上郡美並村公立学校教員に任命し、郡南中学校教諭に補する旨の各処分はいずれもこれを取消す。
訴訟費用は、被告の負担とする。
事実
第一、当事者双方の求める裁判
一、原告
主文同旨の判決を求める。
二、被告
(本案前の申立)
1、本件訴を却下する。
2、訴訟費用は原告の負担とする。
(請求の趣旨に対する答弁)
1、原告の請求を棄却する。
2、訴訟費用は原告の負担とする。
との判決を求める。
第二、原告の主張
(請求の原因)
一、本件転任処分
原告は、岐阜県関市立小金田小学校に教諭(教頭)として勤務していたものであるが、被告は、昭和三七年四月一日付で原告に対し、右教諭(教頭)を免職し、引き続いて同県郡上郡美並村公立学校教員に任命し、郡南中学校教諭に補する旨のいわゆる転任処分(以下本件転任処分という)をした。
二、不服申立とその結果
原告は、これを自己の意に反する不利益な処分であるとして、岐阜県人事委員会に本件転任処分の審査の請求をしたが、同委員会は昭和三九年七月一四日本件転任処分を承認した。
三、本件転任処分の取消事由
(一)、本件転任処分は地方公務員法五六条に違反する不利益な取扱である。
1、すなわち、原告は、多年、岐阜県教職員組合の組合員として組合活動に従事していたが、昭和二八年四月から同三〇年三月までの間は右組合の関支部長となり組合活動の先頭にたつて活躍し、右支部長辞任後も組合の中心的な存在であつた。また、昭和三五年四月ごろには、被告に対し右小金田小学校の学級増加運動を行い、さらにまた、教頭に対する管理職手当の支給をめぐつて、その不当性を主張し、右手当の組合への積立ての実践に重要な役割を果した。
2、ところで、被告は、かねて原告の組合活動をにがにがしく思つていたところ、たまたま前記学級増加運動や教頭手当の組合積立実施、さらには、研究協議会に出席しなかつた組合員がレポートの提出を拒否するといつたことが、原告の推進的活動によるものであることを知り、この機会に原告に報復を加えようと決意し、昭和三七年三月初めごろから、訴外関市教育委員会(以下関市教委という)に対し、岐阜県教育委員会武儀地方事務局教育課長近藤虎之助を介して、原告の管外転出の内申をするように要請したところ、関市教委は、同月九日協議会を開いて右要請を検討した結果、原告の異動は教育上の必要に基く転出ではなく報復的な意味をもつ人事であるから、右要請を断るとの方針を決定し、その旨右近藤課長に伝えた。しかるに、近藤課長は、再び、関市教委に対し、右内申をするように強く要請し、その間、地元県会議員後藤某などから関市教委に対し被告の意向に添うように圧力が加わり、ついに、関市教委は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下地方教育行政組織法という)三八条一、二項に基いて、原告の管外転出の内申をするにいたり、右「内申をまつて」、被告は原告の本件転任処分を行つたものである。
3、本件転任処分は不利益処分である。
イ、地位の低下
原告は、小・中学校の教頭経歴を有するものであるが、本件転任処分により教頭でなくなりその経歴からいつて格下げである。
ロ、管理職手当の喪失
原告は、本件転任処分により、管理職からはずされ、その手当月額三、五〇〇円余の支給を得られなくなつた。被告が管理職手当の支給責任者であることにかんがみ、この損害のすべてが被告の本件転任処分に基因する。
ハ、勤務条件の悪化
原告は、本件転任処分により、従来と対比し、通勤が一〇倍に相当する時間を要するようになり、通勤費が余分に重なる等勤務条件が悪化した。
以上のとおりであるが、地方公務員法五六条にいう「不利益」とは、過去との比較において量的・質的な不利益であり、本件の場合、経済的にも社会的にも不利益であつたこと明白であり、しかも、そのやり方が不公正であつた。
4、以上の経過で明らかなように、本件転任処分は、原告の組合員たる地位および組合活動に対する報復として行われたものであり、地方公務員法五六条に規定する「職員団体の構成員であること」および「職員団体のために正当な行為をしたこと」の故をもつて行われた不利益な取扱であるから、取消されるべきである。
(二)、本件転任処分は、その手続に瑕疵がある。
1、すなわち、前記のとおり、関市教委は、三月九日一旦原告の転出理由を違法不当なものとして、転出の内申をしない旨決定したにもかかわらず、被告や後藤県会議員の圧力に屈して、右決定を撤回し、原告の管外転出の内申をしたものであるが、これは、関市教委が保持していなければならない地方自治の精神に立脚した自主性を侵害されたものであり、あるいはまた、その自主性を放棄したものである。
2、ところで地方教育行政組織法三八条一項に規定する「内申をまつて」とは、市町村委員会の自主性、自律性に基づく意思決定を必要とする意味であり、手続上、内申行為がされたというに止まらず、実質的に市町村委員会の自主性が担保されたものでなければ「内申」といえないと解すべきである。しかるに、関市教委の本件内申は、前記のとおり、同教委の自主性放棄の下に行われたものであるから、実質的にみて法の予定した「内申」とはいえず、本件転任処分は関市教委の内申を欠くものであつたといわなければならない。かりに、関市教委の内申が手続上存在していたとしても、右内申は、原告の組合活動の故をもつて報復的に行われたものであるから、地方公務員法五六条に違反し取消されるべきである。したがつてかかる内申に基いて行われた本件転任処分にはその手続に瑕疵があつたというべきであるから、取消を免れない。
(被告の本案前の主張に対する反論)
一、被告主張の再度の転任処分のあつたことは認める。しかしながら、原告は、右処分についても、現在岐阜県人事委員会に対し、不利益処分として審査請求をしており、将来かりに、再度の転任処分が取消されても、本件転任処分時と同様な勤務関係が回復されるに過ぎず、本件転任処分によつて原告が喪失した地位、管理職手当などの不利益は何ら回復されないのである。そして、再度の転任処分は、免職処分の取消訴訟中に処分者が免職処分を取消したり、それを停職処分に修正したり、あるいは、資格の剥奪を争つているときに資格を回復した場合のように、原処分そのものの存在を消滅させるものとは異なり、ただ単に、本件転任処分と時期と事由を異にして行われたに過ぎないのである。
二、さらに、再度の転任処分によつて、本件転任処分に対する不服申立の方法が失われることになつては行政事件訴訟法二五条一項の立法の趣旨に反することとなり、ひいては原告に対して与えられた被告の違法処分に対する不服申立の権利を不当に奪う結果となつて、これを認めた同法の精神に反するというべきであり、結局、本件転任処分の訴訟係属中は、本件転任処分を本質的に元に回復させるか修正するかの処分でない限り、訴の利益が失われることはない。
第三、被告の答弁および主張
(本案前の主張)
一、原告は本訴請求の利益を有しない。すなわち、原告は本件転任処分により郡南中学校に教諭として勤務していたところ、被告は昭和三九年九月一日付で原告に対し、右教諭の職を免職して、岐阜県武儀郡武儀村公立学校教員に任命し、中之保中学校教諭に補する旨の転任処分(以下、再度の転任処分という)をした。
二、ところで、行政処分の取消請求は、その処分の効果が現に継続しており、違法とする処分の取消しによつて右の処分が行われたために失われた権利を回復しうる間に限り、その処分を取消すについて法律上の利益があるものとして許されるわけであるが、原告は、前記のとおり、すでに再度の転任処分を受けているのであり、この処分は、原告が取消しを求めている本件転任処分とは何ら関係のない別個の行政処分である。
三、したがつて、取消しを求めている本件転任処分はすでに消滅しているとみるべきであるから、これを対象として取消しを求める法律上の利益は存しないものといわなければならない。
(請求原因に対する認否)
一、請求原因一、二項の事実は認める。
二、請求原因三項(一)、1の事実は不知。
三、その余の請求原因事実は否認する。
(本案についての主張)
一、本件転任処分が地方公務員法五六条に違反するとの点について。
1、公務員は全体の奉任者として公共の利益のために勤務しなければならないが、教育公務員もその例外ではなく、公務員である限り、一般私企業と異なり、その勤務関係において一定の制限を加えられることもやむを得ないところである。ところで、公務員の転任処分は、行政目的達成のために任命権者によつて行われる人事行政上の裁量行為であるが、岐阜県における教育公務員の任命権者である被告は、その人事異動について、教育効果の全県的な向上を目標とし、全県的な視野に立脚して行うことを原則としてきた。そして、被告は、毎年、内申権者である市町村教育委員会の意見を参考として、人事異動方針を定め、それに基いて人事交流をしてきたが、年度末の異動の対象となる小・中学校教職員の数は、一〇、〇〇〇名を越え、また、内申権者たる市町村教育委員会の数も一二〇におよぶのである。したがつて、その行政事務も複雑を極め、その調整上、便宜的手段をとらざるを得ない場合があり、必ずしも異動方針にあてはまらないものも出て来るわけである。そして、異動方針の重点となつている「全県的立場から平担部と山間部、郡市間および都市中心部とその周辺部との広域にわたる人事交流をはかる」ということは容易なことではないが、できるだけ右の点を効果的に推進するため、年度末の異動に際しては、岐阜県の各地方事務局の課長により、ブロツク課長会議を開催して、その調整をはかることが慣行化されており、また、市町村教育委員会に対しても、被告によつて異動についての助言と協力の要請が慣例的に行われているのである。
2、本件の場合も、ブロツク課長会議において、武儀地方事務局教育課長近藤虎之助と郡上地方事務局教育課長朝居稚夫との間で、広域人事交流についての事前協議が行われ、これを参考として近藤課長が関市教委に対して、同管内の長期勤務者である原告、青山教諭(旭ケ丘小学校)および林校長(緑ケ丘中学校)の転出について助言し、協力を要請したのであるが、一方、美並村教育委員会においては中堅教員加藤仁教諭の転出予定に伴い後任の転入を朝居課長に要請していたところ、右課長会議の事前協議による後任者として、原告の転入助言があつたので、これが受け入れを決定し、関市および美並村の各教育委員会からそれぞれその旨内申があつたものである。それゆえ、関市教委内において、原告の内申決定までの過程にあつて、曲折があつたとしても、それは、同委員会の内部事情であるに止まり、本件転出内申の正当性をいささかも阻害するものではない。
3、本件転任処分は、以上のとおり、適法な内申をまつて、年度末人事異動の方針に基き、その一環として行われたものに過ぎず、かりに原告に組合活動の事実等があつたとしても、それとは何らの関係をもつものではないのである。
4、本件転任処分が不利益処分であるとの点について。
公立小・中学校における教頭は、学校管理権に基いて市町村教育委員会がその設置を定め、その発令を行うものであるが、本件の場合、原告の転任先の美並村教育委員会が、転任前教頭であつた原告に対し、教頭の発令をしなかつたとしても、それは、同教育委員会の学校管理権行使上の事情であるに止まり、任命権者である被告といえども、これを左右できるものではない。もし、これを左右できるものとすれば、市町村教育委員会の権限を侵すことともなり、当該教育委員会に対する指導・監督権の範囲を逸脱するものといわざるをえない。それゆえ、原告が教頭としての地位を喪失したとしても被告の関係しないところであつて、地方公務員法上の不利益処分の対象とはならないものというべきである。そして、教頭職に随伴する管理職手当の喪失もまた同じ評価を受けざるをえない。
さらにまた、公務員である以上、特別の事情のない限り、その任地に住居を定めるべきであり、自己の都合で既住地から転任地へ通勤することにより通勤時間、通勤費用の増加を来たしたとしても、それは、当然本人において受忍しなければならないところである。原告の主張する不利益とは、通常公務員一般が受忍しなければならない程度のものであり、しかも、被告は、右近藤課長らの事前協議において、原告の転任に伴う負担軽減についても考慮しているのであるから、これを不利益処分というのは当らない。それゆえ、本件転任処分によつて原告が蒙つたと主張する不利益というのも、それ自体は、転任処分に通常伴う範囲のものを出ないのであつて、住居の移転をきたしたとか、給与その他身分上の点で不利益な格下げを伴うとかいうものではないのである。
二、本件転任処分は、その手続に瑕疵があるとの点について。
1、県下全般にわたる人事の異動、交流は、前記のとおり、教職員全般に関係のある複雑な行政事務であつて、その取りまとめが容易でないところから、被告が、各市町村教育委員会に対し、人事異動の方針に基いて、事務的取りまとめのため、特定の者の異動を指導、助言することは、従来から行われて来たところである。このような方法も、それが強制にわたらない限り、便宜的な措置として認容される指導、助言の域を逸脱したものとはいえない。そして、関市教委が、原告の転出の内申を決定するについて、数回の協議を行い、その間に、曲折があつたとしても、これは、本人に転出する希望のない場合に往々にして生じるもので、公正な決定をするための内部的な調整であつて、このような事実があつたからといつて、これを内申手続の瑕疵に結びつけることは余りにも論理の飛躍に過ぎるものである。そのうえ、近藤課長の助言、指導を、関市教委が鵜呑みにした事実はなく、また、近藤課長としても同教育委員会の内申決定を左右しようとする意思をもつて、強制した事実はないのである。したがつて、原告についての内申決定は、関市教委の任意の意思による自主的判断によつて行われたものである。
2、すなわち、本件転任処分は、昭和三六年度末人事異動方針に基き適法な関市教委の地方教育行政組織法三八条による転出の内申と右内申に対応する美並村教育委員会の転入の内申とをまつて行われたものであり、その手続には何らの瑕疵もないものである。
第四、(証拠省略)
理由
(本案前の主張について)
一、原告主張の本件転任処分が行われた事実および被告主張の再度の転任処分が行われた事実は当事者間に争がない。
二、そこで、原告が再度の転任処分を受けることによつて、本件転任処分の取消を求める利益を失つたか否かについて判断する。
かりに、本件転任処分が本件訴訟において取消されることになると、原告は、昭和三七年四月一日にさかのぼつて関市立小金田小学校教諭(教頭)の地位を回復し、その効力は被告やその他の関係行政庁を拘束することとなる。それゆえ、右の場合、原告は昭和三九年九月一日現在美並村郡南中学校教諭の地位にはなかつたというべきところ、被告は、同日原告が右地位にあることを前提として右教諭の職を免職し、前記のとおり、再度の転任処分を行つたものであるから、被告のした再度の転任処分は、その前提とする原告の地位を欠き、無効であつたことになる。してみると、本件転任処分と再度の転任処分とは何ら関係のない別個の行政処分である旨の被告の主張は採用することができない。
三、したがつて、原告は本訴請求の法律上の利益を有するものであり、行政事件訴訟法九条の要件に欠けるところはない。
(本案について)
一、請求原因二項の事実は当事者間に争がない。
二、そこで、原告主張のように本件転任処分が地方公務員法五六条に違反するかどうかについて順次判断する。
(一)、成立に争いのない乙第二、三号証、証人中村篤、同土屋準市、同安田慶一、同奥田伝次郎の各証言、証人近藤虎之助の証言の一部(後記信用しない部分を除く)および原告本人尋問の結果を総合すると次の事実を認めることができる。
1、原告は、昭和二七・八年ごろ、岐阜県教職員組合関支部長となり、その後も右組合の中にあつて組合活動に従事してきたが、昭和三五年ごろには、関市教職員組合小金田小学校分会長の地位にあり、常に組合活動の重要な推進力をなしていたが、一方、昭和三〇年ごろから、現在の教頭に相当する教務主任を歴任し、昭和三五年ごろには、関市立小金田小学校教頭の地位にあつたものである。
2、ところで、昭和三五年四月ごろ、右小金田小学校において、二年生を一学級増加し、それに伴い、教員を一名増員したいということで、同校の校長土屋準市と教頭である原告が、共に、関市教委など関係方面に陳情し、また、父兄に対し、その実情を訴えるため文書を配り父兄の意見を盛り上げて、被告に対し学級を増加してもらうように運動したが、被告が右要求をなかなか認めなかつたため、原告は岐阜県教職員組合と連絡をとり、右組合から被告に対して交渉させるなどして、右運動の中心となつて活躍し、その結果、同年一二月一八日になつて右小学校の教員が一名増員されることになつた。
3、さらに、昭和三五年から、公立小・中学校の教頭に対して、管理職手当が支給されるようになつたが、右手当の支給をめぐつて、右手当の支給は、組合の中から教頭を構成上離脱させ、教頭を管理職化し組合の組織の弱体化をはかるものであるとして、右手当の支給に反対する岐阜県教職員組合と被告との間に紛争が生じ、関市の教職員組合においても、原告が中心となつて教頭部を組織し、その中で討議のすえ、各教頭に支給された管理職手当を右組合に寄付することとなり、昭和三七年三月までその方法が行われたが、原告は、右の重要な推進者であつた。
4、さらにまた、昭和三三年に改定された学習指導要領を翌三四年から三ケ年計画で知らせる伝達講習会が、文部省と被告の共催で行われるようになつたが、県下の中濃ブロツクにおいても、教職員の右講習会への強制参加を主張する被告と、教育研究協議会の名の下に自主参加を主張する教職員組合との間に意見の対立があつたが、昭和三六年度の右講習会に参加することになつた原告が二日間のうち一日を校務の都合で欠席したため、被告は原告に対しレポートを提出するように要請したところ、原告の拒否するところとなつた。
5、そして、昭和三六年三月初めごろ、岐阜県教育委員会武儀地方事務局教育課長近藤虎之助は、関市教委の教育長安田慶一に対し、原告を含む三名の県費負担教職員の管外転出の内申をするように要請し、その理由として原告については前記学級増加運動の推進者であつたことと右伝達講習会に欠席したことを挙げた。そこで、三月九日、関市教委は、協議会を開いて右要請を検討したが、右人事異動は教育上の立場から考えられたものでないとし、さらに、本人の転出の希望も校長の転出の申出もなく、そのうえ、転出先や転出後の地位も不明であり、各家庭の事情も考慮すると、右三名の転出の内申を行うことは適当でないと判断し、その旨を近藤課長に伝えたところ、同課長は再び関市教委に対しあくまでも右三名の転出の内申をするように強く要請した。その後、同月一三日になつて、関市教委は、原告の転出先が郡上郡美並村郡南中学校であることを知り、県の基本異動方針の一つである郡市間の交流をはかる広域人事に協力するという理由で、他の一名と共に原告の転出の内申を決定するにいたり、被告は右内申をまつて原告に対する本件転任処分をしたものである。
以上の事実を認めることができる。
(二)、そこで進んで、本件転任処分が原告の右組合活動の故をもつて行われたか否かについて検討する。
この点について、被告は、原告の本件転任処分は昭和三六年度末の人事異動方針に基づきその一環として行われたものであり、原告の右組合活動とは何ら関係はない旨主張し、成立に争いのない乙第一号証によれば、被告は、昭和三六年度末小・中学校教員の人事異動を行うに当つて「全県的立場から、平坦部と山間部郡市間および都市中心部とその周辺部との広域にわたる人事交流をはかる」ことを考慮していたことを認めることができる。
しかしながら、前掲各証拠および証人和田豊吉の証言を総合すると、
被告は、関市教委に対し、右方針を一般的に、指導、助言し、その人選を教職員の身近かな管理機関である関市教委に委せたのではなく、同管内に一〇年以上の永年勤続者が約一五〇名位ある中から、個々具体的に原告を含む前記三名のみの名前を挙げて関市教委に対し管外転出の内申をするように迫り、しかも、一旦、関市教委が右内申を行うことを断つたにもかかわらず、再び、強く転出の内申をするように要請するという異例の処置をとつたこと、そして、右三名がいずれも組合活動に極めて熱心で、かつ、積極的であり、または、組合活動に理解のあるものであつたこと、原告と同じように前記学級増加運動の推進者であつた関市立小金田小学校長土屋準市も、その後被告から転任ないしは退職の勧告をされ、昭和三六年度末で退職したこと、したがつて、土屋校長が同小学校の校長・教頭が同時に異動することは学校運営上好ましくないので、教頭である原告の転任をしないように強く具申していたにもかかわらず、原告を管外へ転出させるという前例のない処分が行われたこと、関市教委の委員長奥田伝次郎および教育長安田慶一は、被告の異動方針に協力するということで原告の管外転出の内申をしたけれども、内心では、被告の原告に対する報復的な意味を含んだ人事であり、通常の人事異動ではないと感じていたこと、そして、本件転任処分後、間もなく、右両名はいずれもその地位を辞任するに至つたこと、原告の転任先の郡南中学校では、理数科、英語、枝術、家庭担当の教員の転入を希望していたが、原告担当の国語ないしは社会科の教員の転入は、あまり希望していなかつたこと、しかも、原告と入れ替わりに郡南中学校から転出した教員は中堅教員であり、被告は、教頭経験の豊かな原告が郡南中学校では教頭に任命されないことがわかつていながら、あえて本件転任処分をしたこと、本件転任処分後、松野岐阜県知事が関市内における会合の席上で、「この関に小川というのがいるが、これが今年郡上へ出た。関の教育委員会は県のいうことを聞いて人事をやつてくれたから、おそらく関市の教育は将来向上するんじやないか」などというような発言をしたことをそれぞれ、認めることができる。
以上の各認定に反する証人近藤虎之助の証言部分は措信できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。
そこで、以上の各認定事実を併せ考えると、被告は、原告の活発な組合活動を嫌い、原告に報復するため、関市管内から転出させようとして、本件転任処分をしたものと推認するに十分である。
したがつて、被告の前記主張は採用することができない。
(三)、そこでさらに進んで、本件転任処分が地方公務員法五六条に規定する「不利益」処分に該当するか否かについて検討を加えることとする。
1、原告は、転任前の右小金田小学校においては教頭の地位にあつたが、転任先の右郡南中学校では教頭の地位にない教諭となつたことは当事者間に争がない。
ところで、公立小・中学校の教頭から教頭の地位にない教諭になつたことが、「降任」といえるかどうかは、ひとまず別にしても、右乙第一号証、証人和田豊吉、同河合栄一の各証言および原告本人尋問の結果によれば、公立小・中学校の教頭は教諭の中から経験年数が豊かで人物・識見共に優秀な人材が任用され、校長はこれまた適性・人物・健康を考慮して教頭歴任者の中から任用されていることが認められる。右事実からすれば、教諭が教頭の地位にあることは、将来校長に昇任する前段階の地位であること、逆に言えば校長に次ぐ地位であるといわなければならない。したがつて、教頭が教諭になつたことは地方公務員法五六条に規定する「不利益」の内容をなすものと解するのが相当である。
さらに、岐阜県職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関する条例二四条によれば、公立小・中学校の教頭に対しては給料月額の百分の八の管理職手当が支給されることになつている。それゆえ、原告は、教頭の地位を失つたことにより、右管理職手当の支給が得られなくなり、経済的不利益を受けたことになる。したがつて、原告が教頭から教頭の地位にない教諭になつたことは、この点からいつても、地方公務員法五六条に規定する「不利益」処分に該当するものといわなければならない。
(なお、原告は不利益の内容として通勤時間、通勤費の増加を挙げるが、これらのものはすべて国家公務員ないし地方公務員の転任に通常伴う主観的な不利益であるに止まり、公務員としては当然受忍しなければならないものであつて、地方公務員法五六条にいう「不利益」の内容にはならないと解すべきであるから、この点に関する原告の主張は採用できない。)
2、ところで、被告は、公立小・中学校の教頭は、学校管理権に基いて市町村教育委員会がその設置を定め、その発令を行うものであるから原告が教頭の地位を喪失したことは被告の関係しないところである旨主張する。
地方教育行政組織法三七条は県費負担教職員の任命権は都道府県教育委員会に属するものと定めているが、これは、県費負担教職員は市町村立の学校の教職員であるから、元来は、市町村教育委員会がその人事行政権を管理すべきではあるが、一方、右教職員の人事行政を府県単位で同一の水準の下に統一・調整し、同一都道府県下の人事の交流を広く行い、さらに、給与を負担する主体と任命する主体とを一致させるという要請に応えたものと解することができる。さらに、同法三八条一、二項は、市町村教育委員会は教育長の助言により、都道府県教育委員会に対し、県費負担教職員の任免その他の進退に関する内申を行い、同教育委員会は右内申をまつてこれを行うものと定めている。これは、県費負担教職員の最も密接な管理機関である市町村教育委員会の意思を十分尊重すべきことを規定したものと解することができる。ところで、学校教育法施行規則二二条の二、一・二・三項・五五条は、小・中学校に教頭を置き、教諭をもつてこれにあて、教頭は、校長を助け校務を整理するものと定めている。また、郡上郡美並村立小・中学校管理規則(昭和三二年一二月岐阜県郡上郡美並村教育委員会規則第三号)一〇条は、その学校に勤務する教諭のうちから教頭を指定し、教頭は校長に事故あるとき又は不在のときはその職務を代理し校長が欠けたときはその職務を行うと定めている。さらに、前記のとおり岐阜県職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関する条例二四条により、公立小・中学校の教頭には管理職手当が支給されることを定められている。
以上の規定からすれば、公立小・中学校の教頭は教諭ではあるが、校長に次ぐ重要な地位であるから、都道府県教育委員会たる被告は、地方教育行政組織法三七条、三八条により、全県的立場から同一水準の下で統一的に公立小・中学校の教頭に関する人事を行うことができるものと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、右乙第一号証、証人近藤虎之助、同和田豊吉、同河合栄一、同朝居稚夫の各証言を総合すると、被告は、公立小・中学校の教頭についても、その職責にかんがみ、全県的立場に立つて、その適性・人物および健康を考慮して、昭和三六年度末の人事異動を行つていたことが判かる。又右各証拠によれば原告が、右小金田小学校教頭から、右郡南中学校に転任しても、同中学校にはすでに教頭に任用される人が決まつており、転任後、原告が教頭の地位につけないことを十分熟知していながら、本件転任処分をしたことを認めることができる。右各事実からすれば、原告は被告の本件転任処分の結果教頭の地位を喪失するに至つたものということができる。したがつて、この点に関する被告の前記主張は採用できない。
三、以上のとおりであるから、被告の原告に対する本件転任処分は、原告が地方公務員法五六条に規定する「職員団体の構成員であること」ないしは「職員団体のために正当な行為をしたこと」の故をもつて行われた「不利益な差別的取扱」であるから、同法に違反し取消を免れない。
よつて、原告の本訴請求を正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条および民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 丸山武夫 川端浩 大津卓也)